2012年12月8日土曜日

それをお金で買いますか――市場主義の限界

「公共善」のコストは誰がもつの?



それをお金で買いますか――市場主義の限界



以前、
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
という本を読んだことがあります。



その著作の終盤で、登場するキーワードである、
「公共善」が、非常に気になったので、再度、マイケル・サンデル先生の本を手に取りました。
特に、気になった、「小見出し」を抜き書きしました。


  • 「医者の予約転売」(P39)
  • 「ダフ行為のどこが悪い?」(P55)
  • 「マネーボール」(P248)


など、読者を引きつけるテーマが多く、
読み物としては非常に優れていると思います。
議論をはじめるきっかけとして、惹きつけるものがあります。



ただし、読んでいる最中に、次のような疑問が湧いてきました。



疑問その1:「公共善」を設定するための「コスト」

「公共善」の規準づくりの、時間や費用について。誰がその「コスト」を負担するのか?


疑問その2:行政コスト

関係者どうしで「公共善」を設定できても、
行政が介入すると、関係者の時間や費用に加え、
行政コスト(税金)が、余計にかかるんじゃないかと。


疑問その3:規範ではなく「お仕着せ」?

もし、行政が介入してきたときに、
それは、サンデル先生がおっしゃる「公共善」になるのか?
単なる法律のお仕着せにならないか?


疑問その4:それでも市場価格で決まるものは多い

たくさんの「ビミョー」な問題を提起されていますが、
世の中の財・サービスの「ほとんど」は、価格で決められること。
伝統的な経済学のテキストでも、「市場の失敗」は、認めているところです。
all or nothingの発想で、「市場経済」すなえわち「悪」と、決められないこと。




築地市場

World famous Tsukiji Fish Market, 築地市場 / Ari Helminen




行政にもよらず、強制もされず、自然発生的に分権的に
議論を行ったり、対処法を考えることが、それこそ「善」の道だと思いました。



ちなみに、参考文献は、フリードリヒ・ハイエクと言う方の個人伝記です。
おそらく、サンデル教授とは、正反対の考え方の持ち主だと思います。
近日中に、感想を書いてUPいたします。



【関連エントリ】


フリードリヒ・ハイエク


【参考文献】


ラニー・エーベンシュタイン フリードリヒ・ハイエクフリードリヒ・ハイエク 春秋社



フリードリヒ・ハイエク



マイケル・サンデル 
これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
早川書房


「これからの正義の話をしよう」



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